今想う 半世紀前の産土(うぶすな) 倶知安のこと

  • 2014-4-25
  • 今想う 半世紀前の産土(うぶすな) 倶知安のこと はコメントを受け付けていません。

倶知安はアイヌ語のクチアンナイ「山間の水に恵まれた拓けた盆地」を意味し、明治二十五年に命名された倶知安村は「倶ニ安キヲ知ル」が含蓄されている。
東南に秀麗蝦夷富士(羊蹄山)西に東洋のサンモリッツと名高いニセコアンヌプリ、その中央を尻別川(126km)が悠々と流れる麓の邨(むら)が我が産土である。町の四方を囲む京極、八幡、六郷、琴平、富士見、高砂、旭などの各地区は地名だけ聞くと万葉の世界を彷彿させる〟
邨は北海道でも名高い豪雪地帯で積もる雪は6尺(2m)にも及び、11月の初雪、12月から根雪、後は4月の雪解けまで半年は雪との厳しい付き合いであった。
そんな環境だっただけに春が待ち遠しかった。4月に辛夷(こぶし)が雪の残る山間に白い花を咲かせる頃、麓では猫柳がベルベットの帽子を付けた芽吹きを見せ、水辺の谷地蕗((やちぶき)が鮮やかな黄色の花を競った。
5月から6月にかけては花曼荼羅。山では梅も桜も桜桃も一斉に花をつけ、丘では土筆、蒲公英、白詰草(クローバー)が咲き乱れ、庭先ではチューリップもクロッカス(花サフラン)芝桜、鈴蘭、芍薬、ライラツクなどが咲き競う様子は見事であった。春に続く短い夏も、子供だった我々にとって近くの山河は格好のお狩場であった。ニセコの山腹の幾脈かの清流は膝下までの深さであったが、水温は15度程度、岩魚(イワナ)赤腹(アマゴ)?鱒(あめます)が採れ、麓のクドサン川ではウグイ、鍬(カジカ)鮒や鯉、八目ウナギなどが面白いように釣れた。
クドサン川は泳ぎの訓練場でもあり、北は峠下から南は鉄橋下まで毎夏盛況であった。尻別川では幻の川魚、伊富魚(イトウ)までが釣りの友達になってくれた。
秋には山葡萄、こくわ、栗、胡桃、多彩な茸など種々の山の幸にも恵まれた〟
故郷 倶知安を語るとき、この町が函館本線の重要な拠点であったことも記しておきたい。SLの貴婦人C57とSLの強力D51が連結(二重連)される北海道唯一(全国唯一)の「国鉄操車場」があったのが倶知安駅である。函館本線を札幌から小樽を経由して、小澤峠を喘ぎながら倶知安駅に着いた貴婦人(057)は吾が駅で水と食料(石炭)を得てお化粧直しをした後1m以上にも及ぷ動輪4輪の強力(D51)を後ろ盾に駅舎を後にして、クドサン川と尻別川の2つの鉄橋を渡り、再び長い~~峠を越えて一路函館に向かうのであった。その壮絶な様子は雪の谷間の有姿・噴煙とともに、全国の鉄道ファンならずとも想いは深い。
倶知安駅舎についてもう一つ〟歌人 石川啄木が深夜の函館本線の車中で詠んだ歌「真夜中の倶知安駅に降りゆきし女の鬢の古き傷あと」(現在駅の傍に碑がある)。どんな女(ひと)であったのだろうか。自分には雪女にも似た妖な美人を想いおこさせる。

東京くっちゃん会 監事 下田和男 (後期高齢者)

 

関連記事

コメントは利用できません。

ページ上部へ戻る