私の倶知安町の思い出(第一話)

  • 2014-2-18
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[くっちゃん]、[くっちゃん]と言っているだけで、私の心の中には懐かしさがこみ上げてきます。幼い頃から育ったふるさとの土地と空気、自然環境は古希を過ぎた今でも私の脳裏を駆け巡ります。小学校2年生まで駅前の柴田時計店の隣に住んでいました。駅前広場で良く野球をして遊びました。ふるさとを遠く離れた今、三年前の東北大震災でふるさとをなくした多数の人のことを考えると、ふるさとの存在に感謝し、ふるさとの発展を願う毎日です。ですから小学校、中学校、高校時代のクラス会、同期会の知らせを聞くといさんで駆けつけています。後20年したら東京からわずか五時間でふるさとへ到着できる夢の新幹線も計画されているとのこと。そんな夢と希望を与えてくれるふるさとに大感謝です。
私は小学校へ上がる前から父親に連れられて教会のクリスマス会に参加したことがありました。おぼろげに神の存在を知ったのもその頃でした。小学校に入学後は弟と日曜学校にも通っていたにもかかわらず、素晴らしい神様のお話を聞いた後、弱い者いじめをしている自分に気づき反省したものでした。ある冬の寒い朝、小学校への通学路でダイヤモンドダストを初めて見ました。あたり一面輝く景色の中でこの世のものとは思えない経験と神の声を聞いたことも忘れられない思い出です。ボーイスカウトに入り自然の中でのキャンプ生活も楽しい思い出でした。日本で初めてボーイスカウトの運動を広めた大先輩の下田さんがニセコ山系で神仙沼の発見も恵まれた自然環境の証だと思います。神が降りてきて遊んだ沼地、神が祝福している町と自然環境の存在はもっともっと、倶知安町民だけでなく日本人の宝の山として広めたいものです。また羊蹄山の山麓も自然の恵みで溢れています。毎年のふるさと訪問は新しい発見と地元の皆さんとの交流を図る良い機会です。仲間と健康でいつまでもふるさとへの訪問ができることを願う毎日です。[くっちゃん]、倶知安町ありがとう。
高木 武良 昭和17年8月7日生まれ 卓球伝道師、卓球公認審判員

 

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